Kojoの日常

僕は音痴(おんち)

知っている人は少ないが、僕は本物の音痴。

僕は小さい時に中国の田舎で育ち、音楽に触れ合った記憶は無い。しかし、小学生の時に日本に移り住み、学校で音楽の授業を受けたりした。音楽は得意な方ではないが、基本的に僕は良い声をしていると思っていたし、パーフォマンスすることに於いても下手でな方ではない。25歳の頃に妻(当時は彼女)と出逢わなかったら未だに自分が音痴だということに気付いていないかもしれない。

今思えば妻と出会う前にも、自分が思っている自分の歌唱力と、他人の反応が違うなあと思うことがそういえばあった。

大学一年生の事。 外語大だったので大学にしては珍しくクラス制の学校だった。初めてクラスで飲み会を開いた二次会で、皆でカラオケに行くことになった。互いにまだ親しみの浅い中で、誰も一番手で歌おうとしない。そこで30人以上居た皆を救うつもりで僕は軽いタッチで先頭を切り「なごり雪」を歌った。その後、歌い手が続き会は大いに盛り上がった。会の途中で同級生の女の子が僕に寄って来て、先頭を切ったことにお礼を言われた。お礼を言われ僕は誇らしくなったが、その後に続いた彼女の忘れもしない一言 「あそこでわざと下手に歌える菅くんは凄い!」。「えっ?! ちょっと待って、俺本気で歌ったんだけど…」と内心で思ったもの。(笑。今となっては。。)

25歳となる年に、当時は歌うことが大好きだった今の妻と出会った。カラオケに行く回数が増え、どうせ行くなら歌が上手くなるようにちゃんと練習しようと僕は決心。しかし、何回妻に指導されても直らないところか、それ以前に音程が合っていた箇所も合わなくなったりの繰り返し。そもそも音程が合っている時でさえ、自分では合っているのか合っていないのか分からないということに気づかされた。その事を妻に説明したところ、妻に、音程がとれない事を英語ではtone-deaf(toneは音、deafは耳が聴こえない人のこと) という事を知らされる。僕は一気に目が覚めた。僕は音痴だったんだ。悲しむべき現実かもしれないが、僕はそれを知って解放された感じがした。元々音楽に対して、大した興味もなかったし、自分の音楽性に特別な期待も誇りもないのでガッカリも悔しさもなかった。

面白いことに、最近従業員を見ていて、音の音痴ではないが「コイツはもしかしてビジュアル音痴?」、「コミュニケーション音痴?!」、「全体を見れない音痴?」あるいは「数値音痴?!」と思うことが正直ある。僕たち人間は皆、何かしらの音痴があるような気がする。問題は、本人がそれに気づける機会を得られるかどうか。そして、その事実を受け入れられるかどうかだ。

会社経営とは、従業員の能力を発掘してスタッフの成長を助けること、そこに真の成功があると僕は思っている。しかしスタッフには何かしらの音痴があることも認めざるを得ない。褒めたり励ましたりも大事だけど、音痴である事を本人よりも先に見抜き、音痴がやってはいけないポジションから外し、それを本人わかって貰えるように工夫して行くこともリーダーの大きな役目ではないだろうか。

不明 のアバター

紹介 Tatsuo Kan

人生って、自分は何が好きで何によって喜びを得られるのか、それを探し求めるところに価値がある。 試行錯誤し、やっとの思いで積み上げた人生に真の重みがある。 重みを得るにはやはり最大限の素直さと勇気(決断)と本気が問われる。 その重みを差し出して誰かの為に用いてもらおうと手放せた時、 重みは本物の重みとなり愛と奇跡に変わる。

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