Kojoの日常

ペンション経営への思い

*写真はイメージである。

今日は僕にとって特別な日。46歳になった。気持ちはまだ28歳だが、、。

改めて良い人生を送らせてもらっていると神様に感謝でしかない。僕のようなものを見捨てずに神様はずっと僕の後ろを追っかけて神の光(スポットライト))を当ててくれていたという実感は充分すぎるほどある。

なぜペンションか? ペンションをいつかやりたいとその思いが芽生えたのは今から約20年前にアメリカ、アリゾナ州 TUCSONにいた頃からと記憶している。

そのきっかけはやはりなんと言ってもREIKOさんだ。REIKOさんは当時60歳前後の日本人の主婦の方で、僕たち日本人の若者に一所懸命生きる道を教えてくれていた。彼女はクリスチャンではあったが、それまで僕がもっていた宗教を信じる人のイメージと大きく違っていた。彼女の話は聖書に止まらず、哲学、政治、経済、文学など幅広かった。REIKOさんと出会い、25歳だった僕は彼女の人柄とその話に魅了された事は言うまでもない。REIKOさんはアメリカでトップクラスのエンジェニアかつ経営者でもあったご主人の転勤でLAから数年間だけ期間限定でTUCSONに住んでいた。

REIKOさん宅で行われた学生を中心とした「MONDAY NIGHT BIBLE STUDAY」は僕にとって未体験だらけなものだった。当時のREIKOさん宅は本当に素敵すぎるほどの住居地域にあって住民専用のゴルフコースやレストランなどもあるリゾートのような、僕には夢のお宅だった。REIKOさんのお宅そのものに毎週行けることも僕の楽しみだった。

REIKOさん宅で行われるBIBLE STUDYはまずREIKOさんが用意して下さった日本食をみんなで大きなテーブルを囲んで食べるところからはじまる。数人の場合もあれば、2、30人になることもあったかな。聖書勉強会と言うより若者たちが語る場といったものでREIKOさんがリードし、REIKOさんの話そのものを聞く機会も多かった。形は極めてカジュアルだったが、毎回、TUCSONの夜空の下で自宅に向かう帰り道の僕の心はずっしりした何かを確かに得たような、希望に燃えているような、やる気になったような、そんな気持ちに満ちていた。

当時の僕は25歳。正しく将来への不安と自分が果たして何をしたいのか彷徨(さまよ)っていた時期ではあった。

僕はすぐにクリスチャンになる事はなかったが、REIKOさんと出会ったことで間違えなく僕の人生の方向性が変わった。それまでになかった方向に向かい始めたと言うものではなく、自分の中にあった迷っていた思いが肯定されたというものかもしれない。REIKOさん宅でのあの集まり、REIKOさんのあの家、REIKOさんという存在、その後、僕が世界の何処にいても心の拠り所となった。何かうまく行かなくても帰れる場所があるみたいな。僕は先にも後にも人生の中でそんな場所に出会ったことがない。自分が体験して良かったように誰かのためにそんな場所を用意できたらな、とずっとその思いを抱いて来た。

そう、それが僕がペンションをやりたい理由である。

人へのおもてなし、素敵な空間提供、心暖まる食事、終わりの無い語り合い、そんな場所を僕たち夫妻が創れそうな気がしている。つくるように仕向けられている様な気もする。

予算は3億円。さー何処から出てくるかな。出て来た時がその時だろうな。OKANAGAN KAN

不明 のアバター

紹介 Tatsuo Kan

人生って、自分は何が好きで何によって喜びを得られるのか、それを探し求めるところに価値がある。 試行錯誤し、やっとの思いで積み上げた人生に真の重みがある。 重みを得るにはやはり最大限の素直さと勇気(決断)と本気が問われる。 その重みを差し出して誰かの為に用いてもらおうと手放せた時、 重みは本物の重みとなり愛と奇跡に変わる。

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