Kojoの日常

自分自身になる

これは簡単なようで意外とできない。皆が皆、自分は自分の人生を生きていると信じている。「なぜなら、全てが自分で選択し選んできたから。」そう思っている。

果たしてそうだろうか?

僕は26歳の時に人生に初めて躓(つまず)いた。色んなことを考え始め、いろんなことが辻褄が合わなくなった。

例えば、僕にはそれまで、夢(目標)が幾つもあった。27歳までに社長になる、32歳までにアメリカで自分の飲食店を持つなどと具体的に自分の中で決め込んでいた。頑なに念じるように叶うと信じていた。26歳のその時、自問した。「どうして27歳でないとダメなんだ?どうして32歳なんだ?」何日も考えた。そして自分の中で出てきた答えは「僕は、人からの目を意識して、色んなことを決めて、そこを目指してやって来てたんだ。」僕は自分自身にハッとした。自分自身のことだから、自分が一番よく知っている。次に出て来た質問は、「じゃあ、俺は人の目のためにこれからも生きていくのか?」

僕ら人間は自分で全てを選択していると思っているけど、多くの場合は周囲や育った環境の影響で、決断する尺度(メジャー)が大きくなったり小さくなったりと左右されている。

カナダにはシンプルな生活、小さくてもいいから周りを幸せにするという目的で移住して来た。基本的には叶えられている。それでも気がづけば、一緒に働くメンバーや接する人が誰かに方向性を影響されて来ていたな。コロナのおかげでいろんな事を整理していたら、そんな事が浮き彫りになった。

不明 のアバター

紹介 Tatsuo Kan

人生って、自分は何が好きで何によって喜びを得られるのか、それを探し求めるところに価値がある。 試行錯誤し、やっとの思いで積み上げた人生に真の重みがある。 重みを得るにはやはり最大限の素直さと勇気(決断)と本気が問われる。 その重みを差し出して誰かの為に用いてもらおうと手放せた時、 重みは本物の重みとなり愛と奇跡に変わる。

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