Kojoの日常

プチ戦争体験

3月15日あたりを境に僕たちが住むカナダの田舎にもコロナの影響がで始めた。1番わかりやすかったのがスーパーにトイレットペーパーが無くなったことと、飲食店への大きな打撃。多数の飲食店がわずか1週間以内に閉店。

KOJOももちろん例外ではない。僕は16日、月曜日の休日に緊急社員全体会議を開き、状況と僕の見解を伝えた。その時点では、レストランに対する閉鎖指令がまだ出ていなかったが、自らの判断で翌日の営業はテイクアウトのみとした。それに加えスタッフの稼ぎ口を増やすため、自社デリバリーを急遽スタート。

16日からの1週間目の売上は、上下はあるものの他店に比べ、極めてありがたいものであった。自社デリバリーも大いに喜ばれ、攻めの姿勢がむしろ称賛された。しかし週末を挟んで一転、パブリックの恐怖心が急激に煽られ、店を開けていることがコロナをバラ撒いているかのような目で見られるような傾向が出てきた。地域のネット掲示板では学校がない子供同士が外でsocial distancing (2m以上距離を開けなければ行けない)を守らず遊んでいる姿までが叩かれるようになった。肌で感じる人間の恐怖心からくる恐ろしい姿、ナチス時代はこれの延長上にあったのかと考えさせられるものさえあった。

さらにショックだったのが社内に起こったことだ。日毎に状況が変わり、1人又1人に辞めてもらったり、勤労時間を大幅に減らしざるを得なかった。それぞれが経済不安を抱えながらも、皆理解を示し協力してくれた。が、それも人間は出口が見えない不安が長引いてくると冷静さを保てないものだ。勤務時間を減らされた人や辞めさせられる人から不満が出始めた。常勤でいつも通りの給与をもらっている人に対してだ。常勤で残っている人は、決して以前同様の働きではない。一日10数時間も働き、クタクタになっている。彼らには家族があり、それを必死で守ろうとしているだけだ。が、人は立場が変われば見方も変わる。社内にこう言った目に見えない仲間の間に亀裂生じるのを直面するのは本当に忍びない。この濁った感じを解消しようと、一時的な一斉閉店も検討している。が、ある程度売上があるなだけになかなか踏み込めない。そもそも家族持ちを優先に残すと言う僕の決断が間違いだったのか、、、、

状況が状況なだけに予想外なことが多く、僕も戸惑っている。きっと戦時中も始まった当初は皆で互いに協力し合いやっていこうと言う雰囲気があっただろう。しかし、状況がどんどん悪化し、次第に他人より自分という流れになっていったように思う。早く平和な日常が戻されるのを期待しつつ、今自分に課せられている責任(決断、方向性、どうやって運営資金を手にするかなど)を最大限に果たしていきたい。

そして、クリスチャンとして信じるものが持つ勇気(強さ)を示して行けたらと願うばかり。

不明 のアバター

紹介 Tatsuo Kan

人生って、自分は何が好きで何によって喜びを得られるのか、それを探し求めるところに価値がある。 試行錯誤し、やっとの思いで積み上げた人生に真の重みがある。 重みを得るにはやはり最大限の素直さと勇気(決断)と本気が問われる。 その重みを差し出して誰かの為に用いてもらおうと手放せた時、 重みは本物の重みとなり愛と奇跡に変わる。

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