この頃、不当に思えるアタックを僕は受けている。正直、内心では「あれだけよくしてやったのに、なんで?」と嘆く。残念に思えてならない。その悶々とした気持ちになった時、目を閉じて瞑想した。
そして、ふと気づかされた。
神様はこれと似たような気持ちを僕に対して抱いたことがあるのではないか?!神様から見れば、「なんで龍夫はそうするのか?」と思われたことがいっぱいあっただろう。神様の愛、それは忍耐であり、赦し。そう思うと僕がどれだけこれまでに神様に赦され、忍耐強く寄り添ってもらったか。改めて、ここに愛があるんだなと。
人間は自分がどれだけ愛されたかを知らないと人を愛することは出来ない。逆を言えば、自分はどれだけ愛されるに値しない存在であるにも関わらず愛されているかと言うことを知らないと、本当の愛を感じることが出来ない。
十字架は正しく、それを意味している。僕は信じる。
「神は愛です。愛にとどまる人は、神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまってくださいます。」 ヨハネ第一 4:16

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