2013年1月

移住は決心したものの、期待したハワイがダメで、すっかりふり出しに戻った。
2012年8月以降、移住先探しと同時進行で「会社を売りに出すよ」とまずスタッフに伝えた。不思議とびっくりするスタッフはほぼいなかった。そして、知り合いの社長さんたちに「新しい事業として買わないか」と打診し始めた。真剣に考えてくださる方もいた。逆に「この内容じゃー、500万円ぐらいにしかならないでしょう?!」と小馬鹿にもされることもあった。正直にいうと腹がたった。それによって僕のスイッチが入った。絶対希望価格で売ってやろうと。その時の年商は1億数千万円程度だった。けっして売上的に高くないが顧客の質と自社が積み上げたきたシステム力に自負があった。誰でも知っている外資企業をはじめ超名人や一流な大学らがリピータ。この築き上げた信頼と自社の持っているマニアル、これを理解し価値を感じてくださる方は絶対いると信じた。
会社の譲渡も気になるが移住先が決まらないというのももどかしい。
妻は羨ましいほど妥協のない人で常に自分の欲しいものをわかっている。移住先選定に関しても、湿気いのないところや海外を感じれる、子供を育てるのに納得できるとか、沢山の条件をあげて祈っていた。
そんな2013年1月のある日に天気予報を大きく裏切るような大雪が関東県内に降った。僕が住む川崎でもわずか2時間ほどで積雪30センチ超すという予想外な状況になった。その日、僕の両親に預けた2人の子供を迎えに行ったものの、いつもなら帰り車で15のところ、雪に慣れない車があっちこっちで立ち往生。互いに車から降りて押し合いしないとどうにもならない状態が2時間も続いた。
その晩、妻が「雪のあるところを移住先から除外していたけど、今日皆で助け合う姿を子供たちが目にするのはとても良いなと思った。」と口にした。僕はそれを聞いて、「それなら僕が前にいたアイダホ州で良いじゃないか」。僕は2000年にこのアイダホ州サンバレーという超名人が自家用機乗ってくるような高級リゾート地で働いたことがある。実はそこはかなり個人的なお気入りだった。妻が寒いところが好きじゃないと知っていたので提案すらしたことは無かった。
行動力のある僕たちは4月の航空券を購入し、13年ぶりにサンバレーを訪れることにした。僕がお世話になったホストとの連絡をとり、ポールとルネは本当に喜んでくれた。
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