先日、わが社で起こった。
中心メンバーでもあるスタッフの1人からの連絡にちょっとびっくりした。なんとなくスタッフ間で上手く噛み合っていないことは知っていた。僕は彼がそこまでのストレスとは思わなかった。
もちろん必要なだけ休んでもらえるように、現場サイドでは調整をすぐにかけた。この働きをした副社長の袴田は本当に素晴らしかった。
翌日、僕は本人と会って話す機会を持てた。その翌日も早朝コーヒー兼ねて話し合った。
この一件で僕は何を思ったか?
それは人間は知識や経験を積むことに一所懸命になるが、自分を理解する(自分の無さを認める)ということにあまり価値感じず、それへの注力しないんだな、とね。
例えば、戦国時代で戦いに出るとき自分の軍勢がどれぐらいいて、どんなだけ強いかを把握せずに戦いに出たら、時には自殺行為となる。僕たちが働くことにおいて、またビジネスをする上で自我を把握することは戦略やテクニックを立てたり磨いたりすること以上に大事だと僕は思う。
そう、このスタッフは自分のやってきたことや知っていることの知識量や過去の栄光には目が行くが自分が本当はどの程度か、周囲には一目瞭然であっても本人には理解できないようだ。というか、見ようとしないのかもしれない。それとも本当はわかっているけど認めるのが恐いから防御しているのか。だけど、世の中にはこのタイプの人がほとんどかもしれない。自分の力量を受け入れた人(つまりの自分自身を受け入れた人)は本当に稀かもね。
僕は人の技術や経歴に価値を感じて雇用したことはない。人を雇用する時にもっとも気にするのは、①この人は今後成長する可能性があるか。(無い場合はただのバイトに留めておく。)②僕が(会社が)この人をもっと素直にさせることができるか。③これまでうちの会社には無かった何か(価値)をこの人によって生み出せる可能性があるか。この3点である。共通しているのは可能性。
そう、僕は彼を雇った時、彼の過去の経歴に惚れたわけでもなかれば、彼に特別な期待があった訳でも無い。彼と言う人、そのものを気に入ったんだよね。互いに成長出来る可能性を感じたから雇った。本人には伝えたが、その意味も分からない。自分が見て欲しいように見てもらえない、そこにスタックしているんだよね。
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