①やって来た奴と②やって来てない奴、そして③やっているようでやってない奴。この3タイプの人が世の中にいる。
大学のラグビー部の先輩がカナダまでわざわざ来てくれた。実に23年ぶりの再会である。よく知っている先輩かと言うと、そうでもない。大学時代はほとんど会話らしき会話をした覚えがない。10年ほど前にFACE BOOKで繋がった。そして、先輩がずっと料理の道で生きてきたと知った。
そう今回タイミングが合って、わざわざカナダまで僕に会いに来てくれた。海外研修と言った方が正しい。
23年ぶりの再会とあって、僕の中で先輩に対する複雑な期待がいっぱいあった。6週間過ぎて見て、正直に言って期待していたものはほとんど外れた。ただ唯一と言って良いほど、良かったことがある。それは人間味ってやつを先輩を通して再確認できたことだ。
先輩は自他認めるほど不器用。それにも関わらず東京の無看板イタリア人気料理有名店の門を叩き修行。自分をとことん追い詰めて自殺仕掛けた苦い経験をくぐり抜けた後に沖縄県石垣島に移住。最近まで某ホテルの料理長を勤めていた。努力の塊みたいな人だ。自分自身を奢ることもなく学ぶ姿勢とへり下る心構えには偽りない。
華やかさは決してある方ではないけど「人間味あるな」と僕は初日から思わされた。じゃー何がそう思わされたのか?僕の答えは「この人はやって来てる」と感じたからだ。
それは凄いことをして来たと言うことではない。料理長だからとかも全然関係ない。「先輩は真剣に自分自身と向き合い、他人とも向き合い、人の中を潜って来たんだな」と僕は強く思わされたからだ。能力があって器用で要領の良い奴らはいくらでもいる。中には年収億を超える人も。でも、彼らを見て「やって来てるね」と僕は皆に思うことはない。むしろ思わないことの方がずっと普通だ。中にはやって来たと言う顔をして中身のない奴もいっぱいいる。腐るほど見て来た。要はそう言う人たちは人に対して本気になれない、なることに価値を見出せないのかもしれない。人にどんだけ揉まれ来たからと言って人間味があるとは必ずしも言えない。①揉まれて来たかよりも②向き合って来たかの方が人間味が増しくる。楽な道を探し続ける限り、人間味と無縁かもしれない。でも人間は実のところ、本当は人間味に惹かれるのではないでしょうか。
そう思うと、やはり人間味を増していきたいものだ。

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